先日、映画『そして、バトンは渡された』を観たので、その時の感想と共に、
妻が妊娠中ということもあるので、今一度家族について考えてみる。
原作を読んでいたということもあり、映画化されるとCMで知り、CMが流れる度に観に行きたいと思っていたので映画館のスクリーンで観ることができてよかった。
価格:1,760円 |
以下ネタバレがあると思うので、ご承知ください。
映画の感想
活字が映像化されるのってやっぱりすごい。
そして映画は俳優陣が豪華だなぁと再認識しました。
ストーリーとしては、原作をだいぶ前に読んだということもあり、あまり覚えておらず
序盤はこんな感じだったかなぁ?といまいちピンとこない感じでした。
タランティーノのパルプフィクションみたいな構成になってて、こんがらがりました。
繋がった後は、あぁこれねみたいな感じになりましたが、ほんとに序盤は混乱しました。
先にも書きましたが、ほんと俳優陣が豪華というか適役ばっかりだなぁと感じました。
永野芽郁、岡田健史に石原さとみ、田中圭、大森南朋、市村正親などなど?(主要メンバーはこの辺ですね)
登場人物それぞれのバックボーンであったり心情が見えてきて
それぞれにそれぞれの事情というか、生きる意味というか
そういったものが見えました。
家族の話でもあり、子供の成長の話でもあり、
どこかジブリの『耳をすませば』のような若者の葛藤を描きつつ
最終的には親から子へ、子から孫へ的な意味でバトンを渡していくというタイトル回収して終わっていきました。
めちゃくちゃざっくりだけどこんな感じでした。
ただ、映画だからこそ綺麗に進んで綺麗にまとまったけど、実際の家族でこんな状況だったら、こんなにうまくいかなよなぁ・・・と。
どうしてもフィクションをフィクションとして片づけられない自分でした。
家族がテーマということもあり、自分だったらどうだろう?とか、この先子供が生まれたらどうしていこうか?など自問自答する機会を与えてくれました。
自分と照らし合わせる
まず、主人公の永野芽衣演じる優子の生い立ちが自分と重なる部分があり、優子の行動が素晴らしすぎて自分が嫌になった。
片親だったり、再婚だったり、普通の親ではない状況下で育ったにも関わらず、ピュアな心で、まっすぐ育った優子。素晴らしい。
その背景には、実親、義親からの愛情をたっぷり受け取った証なんだろうと思った。
自分は親からの愛情をたっぷりもらえていたのだろうか?
育児を祖父母に委ね、自分(親)はパチンコ、競輪、競馬等のギャンブル漬けだったのではないか?
子供の時は祖父母からの愛情を感じて過ごしていたから気にもならなかったが、
いざ自分が親になるという時、大人になり過去を振り返ってみた時、自分の親は・・・と考える度に無条件の愛を受け取っていたとは思えないのである。
最近親ガチャという言葉が物議を醸しているが、産まれてくる子供は親は選べない。
その子供に何の罪もないのに、親のせいでと敢えて書くが、親のせいで子供に害が及ぶのはやっぱり理不尽だよね。
自分が親になった時には、子供には無償の愛を注ぎ続けたいと思う。
目に見える形で、子供が大きくなって振り返ったりしたときに愛されていたと感じられるように。
とはいえ、大人になったからこそ親の行動を理解できる面もある。
所謂大人の事情というものだろう。しかしながら、そんなつまらない大人の事情で子供を悲しませてよいのだろうか?いやいいわけがない。
大人の事情を子供を巻き込んでしまうのはナンセンスだよなぁ。
できるだけ子供最優先で動けるように対応していきたいなぁ。
親ガチャという言葉は確かに下品というか好ましくない言い回しだけど、
各家庭で必ず世帯収入差なり、愛情差だったり、どうしても平等ではなく、差が存在するのも事実である。
その差をどう受け入れてどう昇華させるのかが、子供としては大変だよね。
自分も自分で死ぬまで自分の親の子供という位置づけは変わらないので、
親から渡されそうなバトンを受け取って、自分の子へも自分からのバトンをしっかりと渡していきたいと思いますね。